Oct
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「何を書いているのかぜんぜんわからないテクスト」を書く人間はもちろん「わざと」そうしているのである。
それは読者に「この人は、どうしてこんなにむずかしく書くのだろうか?」という問いを発させるという遂行的な目的があるからである。
このような問いを立てた読者は高い確率で「この著者は私に理解できないことをさらさらと書けるほどに知的に卓越しているのだ」という判断を下すことになる。
この反応は人類学的には実はたいへんに正しいのである。
「なんだかわけのわからないもの」に触れたとき、「これは理解するに値しないほど無価値なものだ」とただちに断定するタイプの人間と、「これには私の理解 を超える価値があるのではないか」と推量するタイプの人間ではどちらが心身のパフォーマンスを向上させる可能性が高いか、考えればわかる。
「わけのわからないもの」に遭遇したとき、「ふん」と鼻を鳴らして一瞥もくれずに立ち去るものと、これはいったい何であろうかと立ち止まってあれこれ思量するものでは、世界に対する「踏み込み」の深さが違う。
「疎遠な世界を親しみ深いものに変換する」ことにつよい意欲をもつ人間は「既知のもの以外には何の関心も示さない」人間よりも当然ながら環境とのかかわりが深くなる。
それは長期的には、その個体の「生き延びる確率」に有意な影響をもたらすことになる。
だから、私たちの深層には「なんだかわけのわからないもの」に遭遇したら、とりあえず満腔の関心と敬意を以て接すべしという類的な命令がインプリントされているのである。
それは生存戦略として正しいのである。
そして、ポストモダニストたちは私たちに深々と刻印されたこの類的反応を巧みに利用した。 大きな物語の復権 (内田樹の研究室)
それは読者に「この人は、どうしてこんなにむずかしく書くのだろうか?」という問いを発させるという遂行的な目的があるからである。
このような問いを立てた読者は高い確率で「この著者は私に理解できないことをさらさらと書けるほどに知的に卓越しているのだ」という判断を下すことになる。
この反応は人類学的には実はたいへんに正しいのである。
「なんだかわけのわからないもの」に触れたとき、「これは理解するに値しないほど無価値なものだ」とただちに断定するタイプの人間と、「これには私の理解 を超える価値があるのではないか」と推量するタイプの人間ではどちらが心身のパフォーマンスを向上させる可能性が高いか、考えればわかる。
「わけのわからないもの」に遭遇したとき、「ふん」と鼻を鳴らして一瞥もくれずに立ち去るものと、これはいったい何であろうかと立ち止まってあれこれ思量するものでは、世界に対する「踏み込み」の深さが違う。
「疎遠な世界を親しみ深いものに変換する」ことにつよい意欲をもつ人間は「既知のもの以外には何の関心も示さない」人間よりも当然ながら環境とのかかわりが深くなる。
それは長期的には、その個体の「生き延びる確率」に有意な影響をもたらすことになる。
だから、私たちの深層には「なんだかわけのわからないもの」に遭遇したら、とりあえず満腔の関心と敬意を以て接すべしという類的な命令がインプリントされているのである。
それは生存戦略として正しいのである。
そして、ポストモダニストたちは私たちに深々と刻印されたこの類的反応を巧みに利用した。 大きな物語の復権 (内田樹の研究室)